種繭分場の発達

蚕種製造の伝統技術を今に伝え次代に活かす

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日本の蚕種業を発展させた分場

種繭分場の様子

蚕種業者は育成された原蚕種をいち早く増殖し普通蚕種を製造するため、大正初期から掃立の早い地帯に原々蚕種の飼育地域を設け、専任の技術者を派遣していました。伊豆・沖縄・能登・房州・岡山地区は、早場地帯として成果を挙げていました。

また普通蚕種を製造する原蚕種についても小規模で作柄が安定し、微粒子病毒の汚染がなく、きょうそ害のない養蚕地帯に種繭分場が設置され、優良種繭が製造されました。

昭和8年には全国で59,700戸の養蚕家が蚕種業者の分場で、製造される種繭量は全国繭製造量の約8%に相当していました。蚕種業者の製造コストを下げる目標として、種繭の産卵能率が大きな要因であっただけに分場への対応は真剣に取り組まれ、これが日本の蚕種業を発展させる基本と考えられています。