蚕種技術の発展

蚕種製造の伝統技術を今に伝え次代に活かす

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日本蚕糸業100年の発展

日本の蚕糸業は明治以降100年間、世界に類を見ない目覚ましい発展を遂げました。

(1) ハイブリット(一代交配)蚕種の開発

産業革新発祥記念碑

明治39年、外山博士の研究によって原種異系統間の交配技術が完成しましたが、当時の世相は新しい取り組みには消極的であったため、実用化に至りませんでした。

当時、片倉松本地区の責任者であった今井五介氏は英断を持って新技術に取り組み、大正3年普及団蚕種製造を設立しました。一代交配蚕種の製造配付を行い、製造された糸繭は良質で一躍世間の注目を浴びました。

これが近代養蚕発展の基礎となり今日に至っており、松本市あがたの森蚕糸公園の一角に「産業革新発祥記念碑」の建立があります。昭和50年代には四元方式による交雑種の実用化が進み、蚕種製造業はより安定化されました。

(2) 塩酸による人工孵化法の開発

大正13年、荒木・三浦の両氏により発明された1~2化性蚕種の人工孵化法は、それまで風穴などを利用した越年種の長期保護法(究理催青)から脱却し、新たに初秋・晩秋用蚕種が確保されることになりました。これにより各蚕期の養蚕が可能となり、繭の製造に拍車がかかります。現在は浸酸用バットの代わりにトリカルネットが使用されています。

(3) 蚕児虫体鑑別の実用化

石渡腺(雌)
ヘラルド腺(雄)

5令1~3日目になると、蚕児の腹面後方に石渡(いしわたり)腺とヘラルド腺の斑点が肉眼で識別でき、前者は♀、後者は♂です。

唐沢技師(長野県出身者)によって蚕児の雌雄鑑別の実用化が進み、大正末期から昭和にかけて全国の蚕種業者の大半は蚕児鑑別を励行し、蚕種製造の効率化を図りました。

早場掃立分場の5月から6月にかけて、分場地帯には若い鑑別女子達の行列にパラソルの花が咲いたと言われています。最盛年代には全国で3,000人余りの鑑別手が存在しました。一人前の鑑別手の能力は、一日に15,000頭できたと言われています。

(4) 蚕品種の開発は官民の研究者が競った

明治末期から昭和初期にかけて、イタリア・フランス・中国から夫々のルートを伝って貴重な外国種が輸入されたので、その後の品種改良に大いに役立つこととなりました。

蚕品種の育成は国や県試験場の育種機関と兼営業者の研究所、さらには中小蚕種専業者の出資による研究機関の3者が競っていました。このほか専業者でも有力な技術者を抱える会社では、独自の蚕品種を育成し指定を受けました。

公共機関では、日2・4×中5・4を始め多くの品種が開発されていましたが、実用蚕品種の基礎的性状を持つものが主体でした。兼営業者からは、大手の片倉・グンゼ・カネボウなどが社独自の品種を採用しており、専業出資の蚕品種研究会も実用性の高い蚕品種を普及しました。また専業者である高原社・千曲社・熊本協同も自社育成蚕品種を世に出しました。

当時、育成者として特に実績を残された方は、田島博士(蚕品種研究所)、中里技師(福島県蚕業試験場)、小針博士(片倉工業蚕業研究所)、沓掛所長(カネボウ蚕業研究所)です。蚕品種は全国に散在する試験・研究所にて共通飼育試験を行い、その成績をもとに農林省資材審議会蚕種部会の諮問を経て、農林大臣から指定を受けていました。指定制度が施行されてから蚕糸業法廃止までの間に、指定された交雑蚕品種は数百種に及んでいます。

昭和30年以降、実務的に評価され長年指定された蚕品種は次のとおりです。

  • 日115×中108
  • 太平×長安
  • 鈴峰×白雅
  • 春月×宝鐘
  • 日124×中122
  • 陽光×麗玉
  • 春嶺×鐘月
  • 日2・4×中5・4
  • 錦秋×鐘和
  • 豊年×研白
  • 秋光×竜白
  • 瑞光×銀白

(5) 微粒子病対策

顕微鏡による母蛾検査

明治44年施行された蚕糸業法の根幹は、微粒子病対策でした。蚕種業者は法令に則って産卵後の乾燥母蛾を地元蚕業取締所へ持参し、検査に合格したものに証印を受ける制度がありました。また多量製造の業者は、自らも母蛾検査吏員を養成し検査作業を行っていました。

昭和42年以降、官行検査法は廃止されオール自治検査に移行しました。また昭和43年からは、藤原公博士の考案による集団蛾(14蛾・28蛾・30蛾)による検査装置が実用化され、今日に至っています。集団蛾検査方法の採用によって、旧来の検査労力は70%削減されました。

(6) 人工飼料育に関する研究成果

人工飼料を食べる蚕

昭和50年から官民研究機関において人工飼料育の研究が進められた結果、人工飼料に適合する蚕品種が指定を受けました。

現在、普通蚕種のほとんどは1~2令人工飼料育によって行われています。また昭和54年から開始された原蚕全令人工飼料育の研究は、10年間続けられました。その結果、現在は各研究機関や蚕種業者によって実用化が進められています。

当研究に携わった研究者は、伊東博士(国立蚕糸試験場)、井出博士(片倉工業蚕業研究所)、群馬県蚕業試験場(宮沢技師他)、日本農産工、協同飼料、などです。

(7) 種繭の切開機・端切機の開発

蚕種製造合理化の一助として種繭から蛹を切り出す切開機と、蚕児鑑別を行って入荷した種繭の両端を切り取る端切機が、樋口機械によって開発されました。これにより多量製造業者の作業は一段と向上しました。当機は昭和40年前後から利活用されましたが、小規模製造の業者からは迎合されない面もありました。

(8) その他の開発

蚕種業界にとって製造性向上のため種々の提案がなされましたが、前述の開発項目以外の進展が見られませんでした。それらは次の通りです。

  • 蚕種の長期保護法
  • 採種場所の塵埃除去
  • 種繭の重量による雌雄鑑別
  • 蚕の斑紋による雌雄分離蚕品種の実用化
  • 卵色による雌雄鑑別蚕品種の開発
  • 蚕種の自動秤量器