道祖神はそのルーツについて未だ不明な点が多く、その素朴なたたずまいからは想像も出来ないほど多くの謎と神秘に満ちています
古くは「岐神(ふなどのかみ)」と習合され、道案内の神とされる「猿田彦神」とも同一視されるようになり、さらに諸々の民間信仰の神や、道教、仏教などとも習合されるなど、道祖神は様々な信仰と結び付けられ、その外観や信仰形態を複雑に分化あるいは融合していきました。
これほどまでにたくさんの神々が結びつくと、何かとてつもなくおそれ多い気がしてきますが、その割には祠ももたず風雨にさらされ苔生している道祖神も少なくありません。しかしそんな光景を目にするたび、荘厳な金剛仏とは対照的に、道祖神がいつでも庶民と同じ厳しい生活環境に身を置き、同じ苦しみを分かち合ってきた「民衆の神」であることを象徴しているように思えてなりません。