「繭玉飾り」は繭玉団子を柳や水木の枝にさしたもので「餅花」の一種です。「餅花」とは丸めた餅や団子を柳の枝にさして作物の豊かな「稔り」を表現したもので、それを神棚やその近くに飾り作物の豊作を祈念した予祝行事です。
この習俗はそれぞれの地域の生業や風習と結びついて様々な形態に発展していったようです。例えば「繭玉飾り」の名のとおり蚕の繭を模して繭玉団子をつくるほか、地域によっては稲花、野菜、果物などの農作物、農具、小判や巾着、動物、玩具など、
主に五穀豊穣や商売繁盛などに関係したさまざまなものがモチーフにされています。
めずらしい繭玉飾り
松本市内の農家にこんなめずらしい繭玉飾りの風習が残っていました。 蔟 ※に見立てた藁のなかに蚕がたくさんの繭をつくった様子を表現しています。
ニワトリのタマゴほどもあるこの繭玉団子には「大きくて立派な繭がとれてほしい」という願いが込められています。
※ 蔟 とは蚕に繭を作らせるための「足場」として用いる蚕具です。昔は藁を加工して作っていました。
繭玉団子が蚕の繭の形をしているのは、言うまでもなく養蚕をおこなう人々が蚕繭の豊作を祈願していた名残です。
小正月の1月14日から16日頃に神棚などに飾るのが一般的なならわしですが、養蚕が盛んな(盛んだった)地域では二月初午を「蚕玉祭り」として、繭玉団子を作り養蚕の守り神である「蚕玉(こだま)さま」を祭っているところもあるということです。
いずれにせよ、人々のあいだでこのような養蚕に特化した神様や習俗が生み出されるほどに、養蚕というものは重要視されてきたわけです。
養蚕守護の神様
養蚕は各地でさまざまな信仰を生み、多くの神社が「養蚕守護」を大々的にかかげ御札を配るようになりました。
(左:蚕玉大神 右:蚕養神)
昔から日本は養蚕の盛んな国でした。養蚕地帯では蚕の繭による収入が家計の大きなささえとなっていたこともあり、その作柄の良し悪しは農家にとってまさに死活問題でした。
特に養蚕に関する知識や技術が未熟な時代においては自然災害、天候不順、蚕病等によっておこる収繭量の激減や作柄の低下は人の力ではどうすることも出来ない問題であり、しばしばこうした被害に見舞われていたであろう当時の人々の苦悩ははかりしれません。誰もが困惑し、なすすべもなくただひたすら神にすがったに違いありません。
一見すると華やかで楽しげなムードが漂う繭玉飾りですが、そこに込められた蚕繭豊作の願いは今の私たちが想像する以上に切実なものだったのかもしれません。