日本の養蚕は、神代から自足の山野蚕種を用いて行われていましたが、500~600年聖徳太子の時代に韓国経由で織機が導入された折、本格的に蚕種が持ち込まれました。
1680年代の元禄時代には専業蚕種家が出現し、養蚕組織の構成が見られるようになりました。それには種屋旦那衆からの桑作りや蚕飼いに対する技術指導が大きく貢献したと言われています。
1850年代(安政年間)に入ると蚕糸技術は一段と進捗し、生糸輸出も盛んになりました。蚕種製造は専業化し、武蔵・相模・下総・上野・下野・信濃・甲斐を中心に蚕種業者が輩出され、蚕種の販売が行われます。当時、蚕糸業の先進国はイタリア・フランスでしたが、微粒子病が蔓延したため日本へ蚕種輸出の要請があり、多くの業者は外貨の恩恵を受けました。その頃、横浜港から輸出された蚕種の出荷額は、生糸代金を上回ることもあったそうです。