蚕糸業の発展によって日本の経済・文化は大きな発展を遂げましたが、これらを支えた官民には偉大な先駆者が輩出していました。蚕種業界も他聞に洩れず実力者が存在し、各地方での活躍が目立っていましたが、その道を辿ると蚕種業が小規模の頃から代々世襲され、素封家としての地位を築いたからと思われます。
これらの人々は旦那衆と称され、中央地方の政治家や町村の首長であったり、大地主・医者・銀行業などに携わっていました。蚕種業が早くから発達した、福島・群馬・茨城・長野・山梨・静岡・岐阜・愛知・福井・京都・熊本にはそうそうたる人物がおり、特に、福島・群馬・長野出身者は中央でも活躍が目立ちました。
また明治初期学校法人が設立される以前に、私財を投げ打って蚕業技術伝習所を設立した先駆者がいました。群馬の高山社、埼玉の競進社などはその主なもので、修業生は台湾や韓国からの入学者を含め7万人に達したと言われています。