蚕種業組織の変遷

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中央組織と長野県内業者の推移

蚕種業者の推移と我が国の掃立蚕種量の概況については前述の通りですが、以下組織の内容に触れてみます。

(1) 中央組織

昭和06年 中央に蚕種同業組合設立し、全業者が加盟
戦時下のため昭和18年解散
昭和16年 日本蚕糸統制株式会社の傘下に入る
昭和21年 占領下、日本蚕糸業会設立に伴い蚕種部会に編入
昭和22年 全国蚕種協会設立、出席者及び来賓150人
9月5日、静岡県片倉沼津蚕種で総会を開催
昭和22年 免許制度の制定、65業者が許可
平成11年 11月4日、全国蚕種協会が解散。解散時は11業者

(2) 全国蚕種協会の設立

20年誌・40年誌

当会は、終戦後占領軍の指令により蚕糸業を蚕種・養蚕・製糸の3つに分離し、それらを任意団体として独立させるという趣旨に則り、業者の総意によって構成された組織です。(養蚕団体はその後、全国養蚕連合会(法人)となります。)

設立前の発起人の一人が弊社の多田社長で、発足後は監事に就任しました。毎年開催の総会場所は、昭和40年まで国内の各地で設営されていたましたが、その後は全て東京が会場となりました。

総会の主な議題は、「予算、決算、時局対策、取引価格対策、製造流通対策、微粒子病対策、蚕種輸出対策、役員改選、等々」です。

(注)昭和44年に設立20年誌が、平成2年に設立40年誌が発刊されています。

(3) 長野県内業者の推移

徳川時代から上田地方を発祥の地として蚕種の流通が行われてきました。昭和22年の免許制度により製造許可条件は、1社5万箱以上の規定となり、存続した組織は以下の14でした。

  • 信東社(後に上田社に編入)
  • 千曲社
  • 高水社
  • 上田蚕種
  • 藤本蚕種(後に上田社に合併)
  • 松筑蚕種協同組合(高原社)
  • 上伊那社
  • 大竜社
  • 安曇蚕業
  • 片倉普及団
  • 信濃蚕業
  • 不二蚕糸(竜水社)
  • 普及会
  • 南信社

その後、全国蚕種協会解散時の業者は、高原社、上田社、安曇蚕業、南信社、の4社でした。なお、長野県の業者は中央でも実力を発揮し、リーダー格の人々が目立っていました。

(4) 全国蚕種協会 歴代会長

  • 初代:曽根原克雄(学識経験者、旧有明村出身)
  • 2代:合田信一(片倉工業)
  • 3代:宮沢修二(高水社)
  • 4代:小野常蔵(伊達蚕種)
  • 5代:矢沢泰明(上伊那社)
  • 6代:吉岡重三(大里蚕種)
  • 7代:小野誠一(伊達蚕種)
  • 8代:福島蔵之助(フクシマ)
  • 9代:金井武彦(山梨社)
  • 10代:石浜亨(茨城蚕種)
  • 11代:小野勝也(伊達蚕種)
  • 12代:赤羽正久(高原社)
    平成11年全国蚕種協会解散
    平成12年には業界中央の要請を受け、既存業者による全国蚕種協会が再編された。
  • 13代:上條敬典(高原社)
  • 14代:赤羽正康(高原社)

(注)上記メンバーのうち親子で会長就任は蚕糸業界でも珍しいと言われています。